建築学
前編
エンジニアリングで、夢を現実に。
ビルやマンション、倉庫などの建物をつくる「建築」。今回フォーカスするのは、その中でも設計図を実際の建物にするための「施工」です。社会にとって欠かせないこの仕事を今後も発展させていくための課題、テクノロジーにできること──。建設会社に勤務後、一貫してこの「施工」の技術を継承する取り組みに携わってきた、明星大学 建築学部 建築学科の西澤秀喜教授に話を聞きました。
西澤 秀喜
明星大学 建築学部 建築学科教授。芝浦工業大学 大学院を修了後、建設会社に勤務。職業能力開発大学校の教授などを経て、2020年から明星大学 建築学部 建築学科教授。専門分野は施工計画、建築マネジメント、教育工学。
吉川 悟史
日本国土開発 つくば未来センター 建築グループ。大学時代は、コンクリート工学を専攻。入社後、研究開発職として、CFT工法、RC-S工法といった新工法の導入に携わる。現在は建築工事の機械化などに関する業務に従事。
「建築」のイメージとは…?
施工。それは設計図から実際のたてものをつくるプロセス。
人々が建物を使えるようにするために、欠かせない仕事。
ところが「工事現場」の中で行われている「施工」は多くの人にとって
縁遠い存在であるのも事実です。
- 吉川:
- 建築学部に入学してくる学生さんにとって、建築のイメージってどんなものなのでしょう?
- 西澤:
- そうですね、8割がたは設計……特に「意匠」のイメージではないでしょうかね。建物をデザインして、設計図を描くという。
- 吉川:
- やはりそうですよね。設計図を書くところまではイメージできても、それをどうやってつくるかという施工までは、なかなか興味を持ってもらいにくいですし、存在すら知られていないような気がします。
- 西澤:
- 建築は大きく「設計」「施工」というふたつの要素から成り立っています。それぞれ芸術であるアート、工学であるエンジニアリングの側面が強いものですね。設計がないと施工はできないし、施工がないと設計は実現できない。この両輪で初めて建築は成り立つわけなのですが、どうしても「施工」には光が当たりづらい。ずっとここに携わってきた人間としては、ちょっと残念なことだと思っています。
- 吉川:
- 普通の人は完成したところしか目にする機会がないから、エンジニアリングではなくアートの側面ばかり注目されるのも無理はないといえばそうなのですが……。
- 西澤:
- 日本の建築学は、明治初期に設立された工部大学校から始まったと言われています。地震や台風などが多発する風土を鑑みてか、土木、機械、造船などと並ぶ存在として「造家」という学科が設けられたんですね。日本ではこの頃からアートとエンジニアリングが分離していくわけなのですが、本来の建築はその両者が融合したものです。
- 吉川:
- 私たち建築に関わる人々にも、正しく建築を理解してもらうための取り組みが求められますよね。今回お伺いしたのもその一環というわけですが(笑)。
描かれたものを、
かたちにするには
アートの側面が強い「設計」に対して、
エンジニアリングの側面が強いのが「施工」です。
設計図をもとに、実際の建物にしていく「施工」は、
どのようにして行われているのでしょうか。
- 西澤:
- 「設計」と「施工」というお話をしましたが、デザインも含めて建物の完成状態を描くのが「設計」。その設計図に則って実際に工事を行ない、建物としてかたちにするのが「施工」ですね。
- 吉川:
- 重機を動かしたり、コンクリートを打ったり、内装の工事をしたり……施工では多くのスペシャリストたちがさまざまな工程を受け持ち、協力しながら作業を進めていきます。
「建設は一人ではできない」というのはよく言われることですし、イメージしやすいと思います。
ただ、彼ら、彼女らは完成状態を示す設計図だけでは工事を進めることができません。そこには具体的な指示や手順は書かれていないからです。そこで、彼らを取りまとめて実際のかたちにしていく「施工管理」という役割の人々が必要になります。主に、私たち建設会社が担う部分ですね。
- 西澤:
- 私は、建築の仕事がオーケストラにも例えられるという話をよくするんです。建物の完成状態を描く設計者は、楽譜を書く作曲家。実際に施工を行う職人さんや専門業者の方は楽器の演奏者。そして、設計図を正しく読み解き、数々のスペシャリストを導いていく施工管理技術者、つまり現場監督は指揮者です。
- 吉川:
- たしかにそうですね。
- 西澤:
- 指揮者は楽譜を解釈して演奏者を導き、人々が耳にできる音楽としてアウトプットします。同じように、施工管理者にも設計図を読み解き、現場を運営して、建物としてかたちにしていくことが求められます。優れた技術を持った職人さんや専門業者の方のスキルを活かし、設計図通りの建物をつくることができるか、そうでないか。これは指揮者たる施工管理者の腕にかかっています。
- 吉川:
- その道のスペシャリストと対等に渡り合えるだけの知識を持ち、コミュニケーションを図り、最終的な完成形をつくりあげる。まさしく指揮者ですね。
- 西澤:
- そうです。本当は「設計」と同じくらい注目されてもいい、非常に重要な役どころなわけですよね。
設計図のままでは、
設計図どおりにならない
設計図の通りに、建物をつくりあげる。
それは言葉で言うほど簡単なことではありません。
実際のものづくりのプロセスでは「設計図どおり」に完成させるための
さまざまなテクノロジーが活用されているのです。
- 西澤:
- 総合建設会社で施工管理を担当していた頃に手掛けた工事で、一番印象に残っているのは、羽田空港の大型格納庫建設のプロジェクトなんです。
- 吉川:
- どんな工事だったんですか?
- 西澤:
- ジャンボ機二機と中型機一機が入る大型の格納庫を二棟同時に建設したのですが、間口200メートル、奥行き100メートル、高さ40メートルと巨大な建築物でした。その時点では格納庫における国内最大のプロジェクトだったと思います。
- 吉川:
- なるほど。飛行機を整備する倉庫なら、建物の中や出入口には柱を立てられないですね。
- 西澤:
- そうなんです。この架構を実現するために屋根には「立体トラス」という構造を採用し、正面を除く両サイドと奥側の3方向の壁で屋根を支えるようにしました。当然、設計図では屋根は水平に描かれています。ところが、設計図通りにつくるわけにはいかないのです。
- 吉川:
- これだけの大スパンだと自重で屋根が変形しますからね。
- 西澤:
- そこで、どのくらい変形するのかをシミュレーションによって推定し、上方に「むくり」と呼ばれる傾斜をつけることにしました。施工中は屋根が山形になっているけれど、施工を終えて、屋根を支えている仮支柱を外すと自重で下方にたわみ、水平になるわけですね。
- 吉川:
- 本当にシミュレーション通りになるか、不安じゃなかったですか?
- 西澤:
- それはもう、最後の最後まで心配でした。不安で夢にまで見ちゃうんですよ。さあ、いよいよジャッキを外すぞ!という段階になって、屋根が水平になるどころかどんどんたわんでいって、地面に着いちゃうという悪夢を(笑)。実際には、ほぼ計算通り屋根がフラットになって、ホッとしたのを覚えています。
- 吉川:
- 関わる人が多いのでプレッシャーも大きかったでしょうね。
- 西澤:
- 現場で施工を担当した人たちの中には、東京タワーの建築に携わったような伝説的な会社の職人さんたちもいました。質問内容がものすごく高度でしたね。彼らを指揮するからには、こちらにも相応の知識が必要。施工というものの幅広さと奥深さを痛感しました。
- 吉川:
- 私は、新しい建築の方法などを開発する研究開発の領域から施工に携わっています。「新しい方法」ということは、どうすれば図面通りに、なおかつ高品質で、効率よくつくれるかという基準がまだないということなんですね。これを確立しない限り現場の職人さんや専門業者の方を指揮することはできないし、建物としての仕上がりを保証することもできません。
日本国土開発の建築技術に関する取り組み
円形または角形鋼管にコンクリートを充填した構造で柱スパンや階高を大きくすることのできるCFT工法や、柱を鉄筋コンクリート造で、梁を鉄骨造で構成することで高い設計自由度を実現するRC-S構法。日本国土開発はこうした高度な技術が必要な施工技術の獲得にも努めています。
- 日本国土開発が提供する「事前防災」ソリューションのイメージ
- 西澤:
- 部材の組み合わせ方である「構法」や、施工の手順である「工法」も常に進化していますからね。
- 吉川:
- 実験や検証などを通じて、きちんと施工の現場で活用できるものにしていく。そして、できるだけ多くの現場で活用でき、建物を建てる人にも、使う人にもメリットがあるような技術を生み出していきたいというのが、私たち研究開発の視点から見た、施工の仕事ですね。
アートとエンジニアリング、
その両輪で
建築を構成する両輪のひとつであり、
さまざまな技術が求められる「施工」ですが
「設計」と比べ、大学などでこれを学ぶ機会は限られています。
一方で、明星大学をはじめとして
この両輪をひとつとして考える取り組みも進んでいます。
- 吉川:
- 入学してくる学生さんも「施工」の具体的なイメージは無い……と伺いましたが、大学でも学ぶ機会は多くないというのが現実なのですよね。私の学生時代もそうでした。
- 西澤:
- 施工は工種が多岐にわたりますし、大学では授業があったとしても教科書を読んで用語を知ったり、守るべき規準や指針について学んだりといった座学が中心にならざるを得ない。ただ、設計図がどのようにして実際の建物になっていくのかは、設計の道に進むにせよ、施工の道に進むにせよ、建築に関わる誰もが知っておくべきことだと思っています。そこで、うちでは「施工実習」にかなり力を入れているんですね。
- 吉川:
- 珍しいですよね。
- 西澤:
- 職人さんに講師として来ていただいて、足場を組んだり、鉄筋コンクリート造の鉄筋や型枠を組み立てたり、タイルを貼ったり。日本国土開発さんにも非常勤講師としてご協力いただいています。そういった「ものづくりの実際」を見たり、体験したりすることで、建築の全体像を掴んでもらえたらと。
- 吉川:
- 学校の授業で現物の足場もつくってしまう。すごいですね。
- 西澤:
- 安全帯を付けて、高さ2m程度の足場に登ってもらっています。施工に携わる人たちがどのようにものを見ているのか、安全を確保しているのかなどは知っておいてもらいたいですからね。最初は怖がる学生もいますが、やはり「現物」の持つパワーは強いですよ。
- 吉川:
- コンクリートのことも実習でやられるんですね。
- 西澤:
- たとえば、鉄筋コンクリート構造物の劣化を防止するために、建築基準法で「かぶり厚さ」が規定されているじゃないですか。
- 吉川:
- 鉄筋が腐食し、建築物の耐久性が低下しないようにしたり、耐火性を確保したりするために、鉄筋を覆うコンクリートの厚さを規定するものですね。初心者は、実物を見ないと「厚さ」がどこからどこを測るものなのか、よくわからないんですよね。
- 西澤:
- そうなんです。実務を経験した人は頭の中にイメージが浮かびますが、初めて学ぶ人は教科書の図版から想像して、丸暗記するしかない。けれど、これがどのくらい重要なものなのか、なぜ規定されているのかなどは、これからの建築を担う学生たちにぜひ知ってもらいたい。
授業の時間数との兼ね合いもあるので悩ましいのですが、本当はもっと実習を増やしたいところなのですよね。だって、アートとエンジニアリングの融合したところに、建築の本来の姿があるわけですから。
〈後編に続く〉